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ダンサーじゃない身体で舞台をつくるときの秘策? [作品考察]

ダンス作品をみるのが大好きなのですが(好きすぎて、ダンス評論なんて書いてる;)
元より自分はダンサーとしての鍛錬もセンスも皆無(苦笑)。
それなのに、それなのに、今度の作品は多分にパフォーマンス要素が大きい。
さて、どうするか…。


ダンス作品の鑑賞をライフワークのようにし続けてきたことで
得ているものがあるとしたら
「門前の小僧、習わぬ経を読み」の知見。
ダンサーの身体未満でワクワクするパフォーマンス作品にするには
いくつかポイントがあると思います。

もちろん、非ダンサー身体を意図した演出であれば、それでOKなのですが
“出来てるつもりダンサー身体”は、いかにも恰好が悪い。
ダンサーへのリスペクトが強い私固有の思考かも知れないけど
やっぱり“超えられない壁”はあるのだと思います。

今回の作品では、このあたりの知見をフルに動員して(笑)
ダンサーじゃない身体で
どれだけかっこいい作品に出来るかがサブテーマになっていきそうです。


がんばるぞー。



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演歌について [作品考察]

今年の『トーチカ!』で発表する作品をつくりはじめています。

テーマみたいなのは、すでに夏ごろから心に浮かんでいるのですが
・・・えっと、なんというか、“演歌”にしようかと(笑)。

みなさんにとって“演歌”って、どんなイメージなんだろう。
私の子供のころのイメージは最悪とも思えるものだった気がします。
どうしてそんなに耐え忍んでいるんだろう、とか
不幸ならやめときゃいいのに、とか
演歌的世界を全否定するような心持で
テレビの演歌特集などを疎ましくみていました(苦笑)。
さほどポジティブな子供でもなかったけど、
演歌の中にみられる“忍”の世界がキライでした。

今年に入ってなぜ突然“演歌”に興味が湧いたのか、
本人にもあまりわからないのですが
これまで朗読する影としての活動で取ってきた
“影を光の元へ連れ出す”というスタンスが
ちょっと変化したんだな、と理解しています。

コロナ禍で家から出られない生活を送ってみて、
否応なしにこれまでとは異なる断絶感や孤独感に想いを馳せました。
そんなとき、ふと音楽配信サービスのランダム再生で聞こえてきた演歌の曲が
気持ちに刺さりました。

さみしい、でも耐えなきゃね・・・
会いたい、こんなに愛してるのに・・・
あああ、私って不幸なのね・・・

要約するとこんな感じ(笑)。

と、同時に思い出したのがフランシス・プーランク作曲の
全一幕のオペラ『人間の声』という作品。
これは、モノオペラとも呼ばれるソプラノ歌手がたったひとりしか登場しない作品で、
電話越しに愛する男の心を失っていく自分に絶望。
ラストでは電話コードを首に巻いて狂気のうちに死んでいくという作品
(ジャン・コクトーの同名の戯曲が原作)。

モノオペラと演歌・・・なぜか少し似ている気がして、
だけど圧倒的に違うのは演歌にはなんだか逞しさがあるということでした。
悲惨な感じなのに、不幸だってずっと言ってるのに(笑)、
それで死なずに生きてるよ、みたいなところ。
芸術性と大衆性という違いなんだと言ってしまえばそれまでだけど。


リモートワークで家にいて、
街も閑散としたり奇妙なビニールカーテンや透明パーティションに隔てられたり、
だけどそれは自分だけが耐えてる状況でもない。
さみしいとか、不安だとか、もういやだ、会いたい、出たい、話したい・・・
そんなことを叫びたくなる日々で、
いやいや、もしかしたら演歌的な世界観で突き抜ければ、
私の感じてる孤独とか人恋しさとか、罪なく表現できるかも知れない・・・
そんなことを考えました。
モノオペラ的に自分だけの闇の淵へと転がり落ちるのではなく、
堂々とさみしさを口にしながら罪深くはない孤独の叫びを舞台にのせる。

きっと、なんのこっちゃって思いますよね(笑)?!
でも、これはみて頂いた方がきっとわかりやすい。
『ああ、そういうことね』って笑ってもらえる。

今年の影は、
パーソナルな孤独と恋慕を鎮めるお焚き上げに演歌の香りをまとわせつつ・・・。

こんな状況で開催当日まで何が起こるかは予測不可能だけど、
また新しい朗読する影をお見せできると思います。

どうぞ、お楽しみに!

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素直じゃない。 [作品考察]

雨月物語の中で『浅茅が宿』の冒頭は
 下総国 葛飾 郡真間の郷に勝四郎という男がいた・・・

『夢応の鯉魚』では
 延長の頃、三井寺に興義という層がいた・・・

『青頭巾』では
 昔、快庵禅師という徳の高い層がいた・・・

というように冒頭部分がはじまっている。
これって物語の中に登場する人物というより、第三者の視点なんだろうなと思う。
過去に起きた出来事を知っている誰かが、読者に向けて語りかけているという感じ。

朗読をするときの基本は、
きっと素直にこの流れに従って読み上げていくと思うんだけど、
それだと少し詰まらないような気がしてしまう(苦笑)。

例えば『青頭巾』なら、
快庵禅師にやっつけられたと思われている鬼と化した僧の妄執が蘇って
実は素知らぬ顔で物語を語って聞かせているという構図だったら
おもしろいんじゃないかな。
第3者じゃないから、ところどころ読み方が冷静じゃなくなる。
愛した稚児が亡くなるシーンでは涙ぐんだり
自分がやっつけられる表現のところでは激高したり・・・。
朗読を聞いている人はきっと奇妙な感じがしてすごく違和感を持つはず。
だけど、最後に妄執が朗読していたってわかったら「ああ、そうだったんだー」って。
そういう違和感と腹落ち感とがあるとおもしろいんじゃないか。


・・・どうにも素直じゃない私。
さてさて、どんな風に読もうかしらね(笑)。




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いろんな雨月物語、上田秋成研究とか。 [作品考察]

上田秋成の『雨月物語』から朗読作品をつくろうと考えたけど、
あまり古典など気にしてこなかった私。
偶然手にした朗読CDでこの物語を聴いたのが最初の出会いだから
文字より先に“音”でふれたことになる。
でも、いざ自分で読むとなると文字としての出会い直しは避けきれず。

ふらりと出向いた街の本屋さん。
雑誌やビジネス書やコミックに押されて、
文学書はごく限定されたものが並んでいる程度。
目を凝らして書棚を探し、
ようやくビギナー向けの1冊を見つける(角川ソフィア文庫/ビギナーズ・クラッシックス日本の古典)。
原文の一部が現代語訳とともに書かれていて、
古典のリズムを横目に大筋の内容が理解できる。

でも、ページを開いて読みだすと少し物足りない。
とはいえ、古典の原文を読むのは難しい…。
うーん。

ネット検索すると、同じ作品でも訳者によってニュアンスが微妙に違っているということに気づいた。果ては、岩井志麻子さんの女性目線で描かれた独自な雨月物語まであるし、上田秋成についての研究所もいろいろある様子。なるほど、まずはリサーチかな、と思う。

今はいろんな出版社のタイプの異なる訳者の雨月物語を集めて、ニュアンスを探ってる。
自分の読みたい雰囲気に合う言葉を使っているか、
読みやすさはどうか、
まじめすぎないか、
etc。

6月いっぱいくらいで作品原稿を書き上げて
そこからはひたすら稽古かな。


夜更けて、静けさが部屋を支配する。
二日月は深い闇に包まれるから
余計に眠れないよ。




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